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Seattleとの出会い。ただただ感動。
1999年10月8日金曜日
ぬのかわともひさはSeattle-Tacoma International Airportに到着しました。
白人4名家族の理想的なホームステイに迎えられ、人生で初めての海外生活が始まりました。
空に浮かび上がる空中都市:Seattle
そんな印象です。
南の空港から車で北上をしていたのですが、大した景色が無い中で、突如このダウンタウンのビル群が浮かんできた時に、僕の心は奥底から急に感動と情熱に支配されました。
(この都市で生活をするのか)
高揚感
やる気
過去2年間。1年に100万円ずつをしっかり貯めてきた苦労が報われた瞬間です。
楽しい語学学校生活が始まる。少しずつ挫折が始まる
高校の偏差値は45であり、いくらこの様に
低偏差値の高校の英語教科で99%の得点を取ったとしても
本場の英会話は全く異質でした。
とにかく通じない通じない。
ホームステイ内では通じるのです。しかしこれは後に分かったのですが、相当(こう言っているんだろうなと)予測をしてくれていたようです。
外に出ると、店で使う英語が殆ど通用しませんでした。
ある日、Traveler’s checkを日用品店で使おうと思った際に…
Can I use a Traveler’s check?
と聞いても、3回聞いても4回聞いても白人に理解してもらえなかった。凄い嫌な顔をされた。
そう
日本語ではTravelはトラベルで通じるが、本場ではTravelはトラベルではない。全く違う発音。
挫折に挫折を重ねた。
今までの英会話学習が全くここでは役立たない事を知りました。
コミュニティーカレッジの正規授業に中々進めない苦悩の日々
偏差値45という人種は頭を利用する事に中々慣れていないらしいです。
周りの日本人は目標に沿って新しい場所へと転々と移動します。
偏差値45の習性をもつ男子学生は、居心地の良さからか中々新しい道へと舵を切れないようです。
Community collegeの語学学校に辿り着くまでに回り道をしてしまいました。
正しい情報をしっかりと掴めませんでした。
ELSを卒業すればそのままSCCCの正規授業を受講できる=大学生になれると勘違い。
SCCCまでたどり着いたとはいえ、またまた語学学校からやり直し。しかもここは1か月単位ではなく、3か月単位なので進級できなければ無駄な3か月を過ごしてしまう。
結果…
言い訳になりますが、非常に相性の悪い教師との出会い。自分一人だけがLv6のクラスを通過できず。
そして、その間Lv6であれば大学の授業を受けれたのですが、そちらも落第…
その時の成績表も公開しています。
一度傷心旅行。Seattle留学を休止し、日本へ逃げ帰る
余りにもうまく行かず、日本に行ったん逃げ帰りました。
ただし、アメリカの大学を卒業絶対にする!という目標だけは捨ててはいなかったのですが、このままだとダメなままズルズルと停滞してしまう。
という事で、日本に帰りました。
1年ほど滞在し、派遣社員などこなしながら、特に読書を重点的にしました。
山岡荘八の徳川家康全27巻❓ページだと約8100ページの長編を読み返し。高杉晋作や伊達政宗を読み、本当に留学に関しての燃えるような魂を呼び戻す事が出来ました。
また、大前研一さんや邱永漢さんの様な政治経済関連の本にて教養や意見を得る事に成功しました。その他歴史小説やビジネス本も欠かさず読みました。
おそらくここで人間力が一気に上昇したと思います。
Seattle大学留学再挑戦!
1年の充電期間を終え、Seattleに復帰をしました。
懸念だったLv6の語学学校クラスも、3か月で余裕でPass出来ました。
そして、栄えある大学生生活の始まりです。(コミカレだけどねアハハ)
偏差値45の最悪留学生生活を変えてくれたもの、それはずばり新しい人間関係!!
アメリカには世界中から留学生がやってきます。
Seattleは西海岸なので、Asiaが多く、特に中国香港韓国台湾ベトナムタイなんて方々が多かったです。
日本人であると、それらの方々を何か下に見てしまう事もありますが、当時はまだ日本もGDP世界2位でしたし、仕方がない事でした。
ですが、彼らは実は、母国の学歴超競争時代を生き抜いてきた子達でした。
反面、僕自身は偏差値45で勉強なんてした事はありません。そしてバブルも終焉後の日本であり、日本人に競争意識は消え去った後です。
常に学習机に向かう香港人中国人ベトナム人の仲間に入れてもらった。
なんだかんだ言って日本の文化が大好きな彼らです。僕みたいなやつでも日本人というだけで結構仲良く、たまにはモテたりもしました。
タイ人の中にも混じっていたのですが、彼らは王子様王女様で遊ぶ方が多かったです。
ともかく、彼らと共に学習をする仲間となってから、僕の快進撃が始まりました。
ぬのかわともひさの高校時代を振り返ると…
15:30に学校が終わると、ダッシュで家に帰る。ダッシュで帰ると17:00シティーハンター、17:30ルパン三世のアニメを日本テレビで見る事が出来るのです。
クソ学生ですよね(笑)
ですがこのDNAがSeattleでも生きていて
当時のSeattleでは、17:00からDragon Ball Z(もちろん英語版)が放送されていたので、毎日それを見るために帰宅をしていたのです。
DNA健在!!!
悪しき習性を改善してくれた超優秀なアジア人留学生
アニメを見るために毎日すぐ帰宅する僕を変革してくれたのは
香港人のお嬢さん、ベトナム人のお嬢さん方、タイアメリカンの兄ちゃんでした。
彼ら彼女らと仲良くなってから、授業間に一緒に学習をするようになったのですが、15時以降も彼ら彼女らは図書館や5F の学習机に張り付き、なんと午後6時7時までずっと学習をしているのです。
これに…
ぼくも…
染まる事が出来ました!!
朱に交われば赤く成ったり赤く成らなかったり!
ここから僕に学習習慣が生まれたのです。
映像でも話していますが、将来的に会計学の4.0そしてワシントン州で最難関の教授が教える経済学でも留学生はおろか、アメリカ人も含めてクラス一番の成績を(多分)残す事が出来ました。
Macro economicsで3.9
Micro economicsで4.0
この間、
上記の香港人のお嬢さんと交際をしていました。
ハッキリ言って過去の偏差値45シティーハンター男子学生では絶対に仲良く何て出来ない様な高嶺の花です。
学習しない習性は、確実に変更できる。
勉強する習慣はその後ずっと身に付いた。
これはその後アイダホの大学に編集した後ですが、この画像を見る限り外は暗いです。コートが椅子に掛かっているので秋冬楽器の夜6時7時と言った所でしょう。
仲間に囲まれて学習をしているのです。
どうですか?
偏差値45の高校時代では、仲間と共に図書館で学習に励むなんて事は一切ありませんでした。
月日が経ち
人間関係が一新され、正しく構築されれば偏差値45のクソ雑魚男子学生でも学習習慣がしっかりとつくのです。
Seattleで培った成功人生への第一歩。これを読まれている男子学生さんにも辿ってもらいたいです。
自然と都市部が調和された、美しきEvergreen Seattle
(といいつつ、この画像は南の工場地帯の排煙が見えてしまっているが(笑))
人間関係、学習習慣に重きを置いてお話をしましたが、SeattleはGreen Cityです。
Seattleは4つの丘に囲まれており、更に南北には湖、さらに南には4000m級の偽富士山。
対岸にはオリンピックNatinal Parkと、緑と湖に囲まれた美しい土地です。
季候も四季がありつつ、湿度は日本とは比べものにならない程過ごしやすく、男子学生さんはSeattleで生活をするだけでも新しい人生に気分よく打ち込む事が出来るでしょう。
実際僕もそうでした。
人生が気持ちよくなりすぎて、それを日本の友達に伝えすぎて敬遠される事になりました。
まあ…しゃーないです。なるべく慎むようにはしましたが。
人生を大成長させてくれたSeattle留学。分かって頂けたでしょうか?
これでも本来伝えたい内容の半分にも満たないです。
本当は食事、さらなる人間関係、また逆にネガティヴな点。
それにつきましては更に他の記事にてお伝えする事になります。
学歴で悩む、貧乏で悩む男子学生さん。
アクションは早い方が人生には有利です。
僕と話すとお金を取られるのではないか?
お金は取られなくても恩着せがましい事をされるのではないか?
全くありません。
僕が料金を頂くのは、実際に留学をする事を決意した男子学生さんに、僕自身がアメリカ留学1200万円の大剣を全て惜しむことなくお伝えする事になってからです。
まずは行動を。
人生の変化は必ず成し遂げられます。
また会いましょう。
ぬのかわともひさ
Boise State University卒業 Accounting BBA. Minor in Finance
American Intelligence Support LLC