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【第252回】イイ話・アメリカの山奥でアメリカ人兵士に救われる

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みなさんは、アメリカの山奥を訪ねたり生活した事はありますか?

普段はニュースやエンタメなどでアメリカの大都市~中都市の映像は御覧になっているでしょうけど、僕が大学留学をしていたアイダホ州は、日本でも良くイジられるようにド田舎です。

ド田舎ですが、日本の田舎と同じように住人の人間性は穏やかでのんびり。表面的な差別も少なく英語さえ出来れば過ごしやすいです。

今回は、こんな山奥で起こった奇跡。アメリカ人兵士に大学で救われたお話です。

金曜日の18時から始まる週1回の授業を受ける事にした

金曜日と言えば、土曜日の手前なので授業があるけど結構嬉しい曜日です。

そして18時という夕方であり夜。普通、こんな時間に授業を受ける学生なんて存在しませんよね?大体もう遊びに出たり、昼寝をたっぷりしたりする時間です。

この曜日でこの時間帯。しかもアイダホの大学留学一番最初の学期でこの時間帯を選びました。

何故かというと…

こんな時間帯の授業を受けるのはどんなアメリカ人がいるのだろう?

それだけです。人が遊んだり休息する時間帯。そのような時間帯に学習をする人種は勉強家に違いない!素晴らしい人間関係が構築できるはずだ!

と、臨んだところ、

授業前の待ち時間で思いっきり場違い雰囲気を喰らい、心が非常に辛く重くなりました…

完全に場違いの場所を選んでしまったようだ

金曜日の午後17:50くらいに教室に辿り着きました。

そこはもう…

大人の雰囲気。

10代や20歳前後の雰囲気は全くありませんでした。

黒人ゼロ。アジア人ゼロ。10人くらいの人がいましたが、全員白人。しかも…30歳前後の方達。

完全に仕事持ちの方ばかり。仕事終わりにこのBusiness communicationのクラスを受講という流れ。

まず、周りの人たちがみんな誰かしらと会話をしていました。もちろんアジア人の僕には誰も話を振ってくれません。これだけでも心から心が細くなりました。(もちろんこういうのをぶち破ってコミュしないといけないのですけどね。)

でも、この時は話題が何も浮かびませんでした。

自信がある今なら”Hey I am from Japan nice to meet you!  what do you do?”なんて恥も投げ捨てて話しかける事は出来るのですが…当時はもう常に一人ぼっちで自信がありませんでした。

(授業早く始まれ始まれ…)と願いながら、女性の40歳くらいの白人先生がやってきて、ようやく授業が始まりました。

女性講師は生徒間コミュニケーションを重視してくれるから狙い目

僕が男子学生さんの授業選びを手伝う時に提言する事は…

「女性の先生の方が生徒が交流できるように導いてくれることが多い」という事です。これはアメリカ人学生に話しかけづらい、話しかけられづらい男子留学生さんにとっては、結構助かる事です。

しかし、今回の金曜日18時ビジネスコミュクラスは…結構裏目に出ました。

先生が用意した15程度のクエスチョンシートを手に、教室内で立って歩きながら他の学生にそのシート内の質問をする、というアクティヴィティーが最初に行われました。

車が好きな人、遠くから来た人…なんてのを見つける内容なのですが、

ともかく僕が避けられる避けられる(笑)

話が終わりそうな二人組の側で待機して、こちらから話しかけてやっと質問を出来る…という状況。これもかなり心に堪えました…

お待ちかね、ここで奇跡が起きました。

ここまで1400文字を読んで頂けた読者様、ようやく本題です(笑)

心も完全に萎えかけていた時に、1人の190cmくらいの「兵士の迷彩服」を着た白人男性が、僕の前に立ちふさがりました。

そして…

 

「ニホンジンデスカ」

 

と、訛りが薄い日本語を話しかけてきました。

僕の心はもう嬉しさと驚きで大パニックでした。ともかく萎えかけていた、いや萎えていた心に水を…なんていうか、枯れかけた植物に水をかけてくれたような心地。

なんて答えたか…「ハイ!」How do you, how did you…みたいに話したと思います。その後英語だったか日本語だったか、

オオサカとか住んでいた事があります

みたいなことを言われました。

おさらいをします。

アイダホ州という太平洋から640km離れ、標高900mほど、白人率95%の小都市。そして金曜日の18時で白人社会人20名に囲まれた小さなクラスルーム。その地球上で最も心細さを感じていた僕が、この白人兵士によってオアシスに出会ったのです。

もちろん彼にとっても、こんな場所に自身が楽しく過ごした日本からの留学生がやってくるとは奇跡でもあり、嬉しくて仕方ないとの事でした。

兵士友人のお陰で、ビジネスコミュニケーションのクラスを通過出来た

Boise State Universityでの初めての学期。数学と会計学とビジネスコミュニケーション。

一番ヤバかったのがビジネスコミュニケーションでした。女性の先生だから、ペアワークとか頻繁に起こるんですね。ですが、この白人兵士友人と常にコンビを組めたので、まずこのアジア人留学生とペアを組んでくれる白人を探す最悪の労力を飛ばせたのがありがたかったです。(彼が仕事で休んだ時は苦労したのですが…)

ペア宿題も、特に文章構築は頼りにしてしまいました。全くの他人で50-50のワークだったら特に最初の学期なので辛かったと思います。

日本人で良かった。日本の人に本当に感謝

僕がこの白人兵士にお世話になったのは、僕が素晴らしい事をしたからではなく、彼が日本にいた時に日本人が彼に対して丁寧に接してくれたからでしょう。日本での様々な体験を喜んでくれたから、その思いが僕に対して助けてくれるという形に実ったのだと考えています。

彼とは彼の奥さんやお子さんとも家族ぐるみで付き合いをしました。今は日米で離れてしまっていますが、アメリカに行く際は必ず訪れます。

という事で、心細い中で救われた話です。

大学中に同じような体験がもう1つありました。同じように日本好きの白人男性でした。その話はまた次回致します。

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著者

アメリカン インテリジェンスサポート合同会社 代表社員 布川 友久 (Nunokawa Tomohisa) 米国ボイシー州立大学卒。会計学専攻財務金融副専攻 1979年3月25日生まれ。高校は偏差値45程。大学にはサッパリ合格せず、 父の助言もありパソコンと英語のみを勉強。 インターネットが全く整備されていない時代に、自力留学手続きの後 米国シアトルセントラルコミュニティーカレッジ(SCCC)へ進学。 留学当初は、偏差値45が示す通り、伸びしろの無い学生生活を送る。 しかし、ロバート・キヨサキ氏の助言により、会計学に興味を持つ。 会計学教師Mr. Michael O'niellの的確な指導により 勉強をして成績が備わってくる事の喜びをついに知る。

SCCC終盤には、大学内最難関クラスであるMr. James Hubertの Micro/Macro Economicsで、留学生でありながらクラス最高の成績を残す。 SCCC卒業後、日本に帰国。留学資金を貯めて再度アメリカへ。 自力手続きを終え、アイダホ州内Boise State Universityへ編入。 大学より奨学金を受領。 会計上級クラスに進級するうちに、大企業会計に興味を失う。 この頃から、インターネットを通じたマーケティングに興味を持つ。 また、世界金融破壊の発端となったアメリカ本土においての 金融学に興味を持ち、ファイナンスを副専攻に。 卒業後、日本へ帰国。2013年、アメリカン・インテリジェンスサポート合同会社設立。現在はWeb広告コーチ、コピーライティング、自身のセミナー開催、他者様のセミナー開催支援、そして留学サポートコーチとして活躍中。 アメリカンインテリジェンスサポートLLC

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