前回【第006回】 偏差値45でもアメリカ州立大学卒業 ~渡米後の劇的大逆転生活~ その1 初めてシアトルに降り立った日前回
空中都市シアトルの写真をお見せしました。
I-5を北上し、最後の丘を越えると下り坂になる。その時に奥のダウンタウンが浮かんで見える。日本では見る事の出来ない景色だと。いや、日本国中巡ればどこかで見れるかもしれないが。
何もかもカルチャーショック:え?アメリカ人だからステーキディナーじゃあらへんの?
シアトルタコマ空港に降り立ち、ホームステイファミリーの家にたどり着いたのが14時くらい。写真の通り晴天。東京の10月日中と違い、少々肌寒い。
重い荷物を引きずりながら、アメリカの良くある玄関先の階段を上がりつつあると、ドアが開いてお母さんと娘さん8歳くらいが出迎えてくれた。
今だったらジョークや旅行過程の話をしながら自己紹介も出来るだろうが、当時は英会話に自信も無く、日本人とアメリカ人の感覚の違いも誰も教えてくれる人はいなかったので(今でも世の中には皆無だが)日本人の様な挨拶で終わってしまった事が悔やまれる。
しかしかれらはホームステイを何年もやってきているようなので、私みたいな無表情なロボット日本人には慣れていたはずだ。
長旅の疲れなのか、その後数時間の記憶はハッキリしない。しかし、初めての夕食は衝撃だったのは覚えている。
まず彼らは家族4人で食卓を囲みながら手を繋ぎ、この場合はもちろん私も入れてもらっているが。そして、何かしら英語でお祈りの言葉を交わす。
へ~、これがキリスト教か~と。いやいや、彼らはユダヤ教だった。。。。違いが分からん!!!
食事は質素な物だった。スープやパン。かといって別に貧乏一家に嫁いだわけでもなく、これがアメリカで一軒家を持っている家族の普通の食事なのだろう。いきなりステーキ!!を想像していた。今思うと彼らがJewishだったのが食事にも関係しているのかもしれない。
そして、そのまま夜が終わるのかと思いきや夜7時。私の記憶から消えない出来事が起こる。(かといって、衝撃的な事では無い事は前もってお伝えしておく)
何もかもカルチャーショック:暖炉のアイスクリーム
「Let’s go to have ice cream」
っちゅー事だった。日本の皆さんの事は知らんけど、私にとってアイスクリームとは別に外に食べに行くものではなく、冷凍庫に保存しておいて家で好きな時にかぶりつくようなものだった。
10月の北海道の緯度の夜に結構部屋も寒い中、さらに寒くなるアイスクリームを食べに行く事は体に良くないが、脳の我欲には勝てずにシュガーを摂取しに行く事になった。
■家から歩いて1分で繁華街ストリート
Broadwayと聞くと、ニューヨークの芸術的なストリートを誰もが想像してしまうだろう。
実は、Broadwayというのは、どこの州にもどこの街にもある通りの名前であって、別に一つしかないわけでは無い。
州によっては盛り上がっていたり、全く閑散とした通りの場合がある。
幸いシアトルのBoradway avenueは、シアトルでも有数なBusy Streetである。
Googleで検索できる画像をいくつか貼ってみる
ま~、これだけではどれだけ繁盛しているかは見え辛いだろうが、実はこのBroadway沿いにはCommunity Collegeがあるので、日中は学生たちで非常に混雑する。
これが夜になると・・・
若者たちが集いを楽しんでいる。
他にも、家族連れが食事を楽しんでいたり、カップルやゲイカップルもそこら中に歩いている。うん。ゲイも有名なBroadway.
そんな街に、ホームステイファミリー4名と私で、家から歩いて1分あるアイスクリーム屋「Ben & Jerry」に入った。
なぜそのアイスクリームについて17年経った今でも覚えているのかと言うと、このBen & Jerryの建物が非常にシックでクールで。まともにお伝えすると、レンガ造りの雰囲気のある建物の1回にあり、さらに中に入るとウインドブレーカーを着た年齢の高めの夫婦が体を寄せ合いお互いを温めながら冷たいアイスクリームをほおばっているのが印象的だった。
そしてその店の奥には、暖炉が設けてあり、しっかりと火がついていた。偽物のガス暖炉ではなく、薪で焚かれた本物の火であり暖炉だった。暖炉が明るい光を店内に灯すので、店内の照明はかなり暗め。
お分かりいただけるだろうか?店内は蛍光灯の何の雰囲気の無い店ではなく、まるで高級レストランの様に暗い照明の中、ゆらゆら暖炉の光がお客の姿を照らしている状態。
初めて入ったアメリカの店舗がこのような雰囲気だったため、今までこんな雰囲気を味わった事の無い私はアメリカの創作性?アイスクリーム屋に暖炉?この日米間の違いに打ちのめされた。
アイスクリームなんて家で食いたいや、という感情から、アイスクリーム店の雰囲気に驚かされた。この180度の違いがあったため、今でもその衝撃は覚えている。
初めてのアメリカ本土。初めて自分一人で出た海外。初めての街。初めての店。初めて多人種に囲まれる。
心の底まで衝撃を受ける。そしてこの街で自分が最低でも2年は生きていくという事を考えると、興奮が止まらなかった。
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