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【第042回】ホストファミリーの息子と完全に仲違いをしてしまった話~留学Diary ~渡米後の劇的大逆転生活~ その5

06 1999年からの留学日記

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■留学を始めて2か月。
少しづつホームステイから逃げ出したい気持ちが芽生え、それが決定的になった時のお話。

 

前回 【第025回】Seattle Diary その4 ホームステイ先で奴隷ボランティアに陥ってしまった話 ~偏差値45でもアメリカ州立大学卒業 ~渡米後の劇的大逆転生活~

にてお話しした内容は、私自身が主張を出来ない人間だったため

善意で始めた皿洗い家事の手伝いから抜け出せなくなってしまった話。

その中で、ホームステイ6歳の長男の話をしたが、

ホームステイの長男(6歳)は結構手なずける事が出来た。

彼にはお土産で渡したポケモンのカードセットがかなりボディブローになったようで、ほぼ毎日何かしらポケモンの話、いやその時はデジタルモンスター=デジモンの方が興味が強かったようで、とりあえず毎日デジモンのカードを見せて来る。

全くカードに興味が無い私だが、英語力養成の為に、毎日毎日彼との話を積み重ねる。

本当に仲良しの兄弟みたいになれたのだが、数か月後に破滅的な事が起きる。それはまた以降の記事で。

 

この数か月後に破滅的な事が起きる。についてお話ししようと思う。

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■語学学校の友人をホームステイの夕食に招待してもらった。

前回もお話ししたが、ホームステイ長男とは日本からお土産で持ってきたポケモンカードも助けになり、

最高の仲良しになれていた。

一緒に公園を歩いたり、自転車を後ろから押してあげたりなど。

一人っ子の私からしたら、年の離れた弟、もしくは自分の子供が出来たような可愛さだった。

 

そして、語学学校の方も毎日楽しく通い、学校にいる各国留学生とも段々と打ち解けてきた最初の1か月だった。

とくに留学開始の10月から11月末までは、クラスメートが私以外みんな女性で、

日本、スペイン、コロンビア、ドイツの美人生徒に囲まれていて、そりゃー学校なんてサボる気持ちなど一切出なかった。

 

そのなかで日本人女性。Y美ちゃん。実は日本で同じ専門学校だった事が分かった。結構昔話などして盛り上がっていた。

 

こういった学校での出来事をホームステイお父さんと話したりするのだが、

お父さんが「じゃーその子をウチに招待して食事をしよう」

という事になった。

彼女も承諾で、学校の後にCapitol Hillへ一緒に帰る事になった。

そして家へ到着して、紹介を済ませた。

 

私自身は彼女の発音力がすごかったので参考に色々話をしたかったし、彼女自身も私の文法の応用などで話をよく聞いてくれていた。なので、もっと彼女と話したかったので私の部屋で話をし始めた。

 

 

ここで私の空気を全く読めないホームステイ長男君が、何故かものすごく攻めてくる。

 

私たちの間に座り、ポケモンカードのフォルダーを「見てくれ!この俺様のコレクションを!」と言わんばかりに雄大に広げ、それぞれのカードの説明を始める。

数分という短い時間であれば良いのだが、これが5分10分と続いたため、我々は多少ウンザリ。

彼が部屋から一旦出た隙にドアを閉め鍵をかける。それで話を再開するのだが・・

ホームステイ長男、彼が戻ってきて鍵がかかっている事を見つけると

今まで見せた事のないような怒り具合で、ドアを殴る蹴る。小さい子なのでドアは壊れないが、我々を驚かせ、更にお母さんをも驚かせる。慌ててドアを開け、そしてまたポケモン談義が始まってしまう・・・

それを無視して話をしようとすると、怒って遮る。

 

今までに全く起こらなかった事が起きている。

 

その後、ホームステイで食卓を囲み、お父さんのHondaでY美ちゃんをQueen Anne Hillまで送り、その日を終えたのだが・・・

 


■次の日からホームステイ長男の態度が一変してしまった

翌日も家族は仕事に学校、私は語学学校で学び、午後には帰宅するのだが、

あの日以来、ホームステイ長男が殆ど私の部屋に来ることがなくなってしまった。

 

話しかけても殆どが無視。とある日には大声で「Move out!!」と叫んだのが聞こえた。その直後にお母さんが長男を叱るのだが、私自身Moveは引越せという意味なのは分かっていたので、かなりショックだったのだが、

さらに何でOutという単語がついているのか気になり、当時は紙の辞書で調べたのだが、

引越して出ていく、立ち退くという、Moveの引越しとは比べて無理やり強制的に出ていくような意味合いである事が分かり、ああこれは嫌われているな~と感じた。

 

そうすると、理由を探すのだが、それはやはりあの日の事以外にはあり得ない。

私があのお嬢さんとお喋りしたいのと同じで、彼自身もお嬢さんと喋りたかったのだろうと。結構くっついてたり、嬉しそうに名前を呼んでいたからな~。

惚れたんだろうな。

それを私が邪魔をしたので、本能的に嫌いになったのだと。

 


■ここに住む価値はなくなった。

それ以降も、長男とは全く復縁できず、辛い日々の連続だった。

お父さんの優しさだけでこのホームステイに留まっていたが、もう限界だった。

皿洗いの奴隷、自分の事を憎んでいる者との同居。

ホームステイの会社Abodeに新しいホームステイ先を探してくれるように依頼した。

ホームステイには黙っていた。

語学学校での成績、というか忘れ物が多くなり始めたのもこれが影響していたのではないかと今では思う。

そして新しいホームステイ先を見つけ、そちらに移ったそれは12月の毎日雨が降り続ける季節。

 

ホームステイお父さんには何て嘘をついて引越したんだっけな。

勉強に集中したいとか、最もな多分誰にも分ってしまう嘘をついて出たと思う。

お父さんも多分感づいていたとは思う。

 

という事で、

三カ月の最初のホームステイ生活が終わった。

ここではJewishという人種がいて、Hanukaというお祝があるのを知った。アメリカ人全員がクリスマスじゃないという京劇の事実、いや、驚愕の事実も知った。

 

次回はホームステイ引越し先を選んだ理由や、その後の生活、良かった点悪かった点を書きたいと思う。

 

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コメント

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著者

アメリカン インテリジェンスサポート合同会社 代表社員 布川 友久 (Nunokawa Tomohisa) 米国ボイシー州立大学卒。会計学専攻財務金融副専攻 1979年3月25日生まれ。高校は偏差値45程。大学にはサッパリ合格せず、 父の助言もありパソコンと英語のみを勉強。 インターネットが全く整備されていない時代に、自力留学手続きの後 米国シアトルセントラルコミュニティーカレッジ(SCCC)へ進学。 留学当初は、偏差値45が示す通り、伸びしろの無い学生生活を送る。 しかし、ロバート・キヨサキ氏の助言により、会計学に興味を持つ。 会計学教師Mr. Michael O'niellの的確な指導により 勉強をして成績が備わってくる事の喜びをついに知る。

SCCC終盤には、大学内最難関クラスであるMr. James Hubertの Micro/Macro Economicsで、留学生でありながらクラス最高の成績を残す。 SCCC卒業後、日本に帰国。留学資金を貯めて再度アメリカへ。 自力手続きを終え、アイダホ州内Boise State Universityへ編入。 大学より奨学金を受領。 会計上級クラスに進級するうちに、大企業会計に興味を失う。 この頃から、インターネットを通じたマーケティングに興味を持つ。 また、世界金融破壊の発端となったアメリカ本土においての 金融学に興味を持ち、ファイナンスを副専攻に。 卒業後、日本へ帰国。2013年、アメリカン・インテリジェンスサポート合同会社設立。現在はWeb広告コーチ、コピーライティング、自身のセミナー開催、他者様のセミナー開催支援、そして留学サポートコーチとして活躍中。 アメリカンインテリジェンスサポートLLC

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