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【第095回】イチローさんを例に目標の叶え方を知ろう

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世の中の成功哲学で散々名前が使われるイチローさんですが、私ぬのかわともひさが他の方とは違った角度でお伝えします。

今回の記事は、苫米地英人博士の機能脳科学に影響を甚大に受けています。

まずシンプルに。

 

夢と目標の違い

は自発的に叶うものではなく、偶発的に叶うものです。

目標は叶えるものです。

ですので、夢を持たずに目標を持ってください。

 

論理的には目標を叶えるのはとても簡単です。

 

最初に長期目標を持つ。

この長期目標は現状ではなかなか考えられないが、一応可能なものが良いです。

例えば、月給50万円の社員になる・・というのは小さすぎます。現状の考えられる範囲内の限界になってします。

月給200万円!とかどうでしょうか?

大抵の人がここで

絶対無理!

この自分の考えをすぐに否定する事が、目標の達成に繋がらないのです。

 

否定ではなく、肯定をする。

肯定をするとどうなるのか?この目標に向かって無意識に脳が情報を拾い始めるのです。あなたが目標に向かう事へ考え始めるようになるのです。

 

イチローさんは50歳までメジャーリーガーとしての現役という目標を掲げました。そして当たり前ですが、イチローさんは自分の目標を否定しませんでした。

私自身はヤフコメなんかを覚えていますが、否定や疑問のコメントの嵐でしたね。結局一般的な視野では否定に入ってしまうのです。

 

長期目標から中期目標を作り出す。

イチローさんが50歳まで現役を貫くとしたら、節目節目の年齢でどのような状態にいるべきでしょうか。

野球は40歳前の引退が大多数です。

30~35歳くらいから怪我や肉体の衰えにより成績が下降する選手が続発です。

イチローさんは20代後半からMLBで活躍をしましたが、確実に中期目標も持っていたはずです。私が憶測で代弁しますと

10年以内にMLB2000本安打を達成する
35歳になってもレギュラー、3割50盗塁という成績を残す
40歳までにMLB3000本安打を達成する、依然としてレギュラー

数時とか全然興味ない

ここで勘違いしないでほしいのが、イチローさんは数字を残したいのではないという事です。

イチローさんが40歳までに3000本というのは、一種のバロメーターなのです。

1年1年やる事をこなしてきた結果、自分の思考行動習慣が50歳現役まで間違っていないという事を、2000本3000本という通過点が証明してくれている。という事です。

また、安打記録を達成するには欠場は絶対に避けなければなりません。試合に出続けられる体力そして回復力。この安打記録は2つを正しく持っているという証明にもなります。

 

最後に中期目標から、1年1年の短期目標を作ります。

短期目標達成の積み重ねが中期目標の達成になり、さらに中期目標の積み重ねが長期目標達成に繋がります。

ではイチローさんの短期目標とはなんだったのでしょうか?

それは、1年のシーズンで200本安打以上を打つ事がメインでした。その他目標はあったと思いますが、盗塁30とか40以上、もしかして冒頭で挙げた50以上だったかもしれません。(盗塁50以上は2001年以外では達成できていない。)

そしてまた理解してもらいたいのが・・

200本を打って満足をしていたのではありません。

200本打つ事によって、自身が中期長期目標を達成するために順調なステップを進めているという確認ができる、という事です。

これが180本で終わってしまうと、イチローさんの中で疑問が浮かびます。

スイングが鈍いのか、タイミングの取り方が間違っているのか、また修正の仕方が間違っているのか。

長いシーズンですので毎月良い成績は残せません。それは投手の攻め方が変わってくるからです。本来今日は調子が良い、昨日は調子が悪いというのは間違いです。

修正がうまくできるかできないか。それだけです。

そして1シーズン200本打つ事は、イチローさんは練習・打席でのスイング・考え方・修正、全てが順調に行っている・・・と確認出来る事に過ぎないのです。

 

覚えてますか?イチローさんが現役50歳を明言した時に、無理だ無理だの否定の嵐。

イチローさんは27歳でMLBに移籍しました。(27歳、誕生日は10月)

その2001年から10年連続200本安打です。

順調に短期目標を毎年クリアしながら、中期目標である10年以内の2000本安打を達成しました。

10年以内にMLB2000本安打を達成。

これは見事に最初の中期目標を達成しています。過去の10年間、長期目標達成の為にやってきた事の正当性が証明されました。

しかし11年目2011年に安定が崩れます。

安打数は184本で打率は.272という、今までのイチローさんでは考えられないような成績になってしまいました。

この2011年の1年はイチローさんにとって初めて短期目標の達成が崩れた年です。

短期目標が崩れれば中期目標の達成が遅れます。成績が悪くなれば50歳まで現役という長期目標の達成に黄色信号が灯ります。

私ぬのかわともひさは、この年のイチローさんの不振は心技体の心部分にあったのではないかと推測します。

Wikiを見ますと

20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降僕がいるべきではないのではないか。

自分の居場所が無いと吐露しています。2000年前半でエドガー・マルティネスを始め、数多くの名選手たちとチームを作ってきたイチローさんにとっては考えられない発言です。

ソフトマッスルやルーティンワーク。全てをいつも通りこなしてきて毎年の短期目標を達成して来たイチローさんでも、精神面までは安定させる手段が無かったといえます。

40歳までに3000本安打は実際には42歳で達成。

その後、ヤンキースやマーリンズにて出場を重ねますが、バリバリのレギュラーには戻れませんでした。

イチローさんの髪も白髪が見えるようになってきました。

白髪というのは悩みがあったり健康を害している方がなる事が多いです。イチローさんの健康が害されている事は考えにくいので、レギュラーを失いつつあった時間帯、我々には想像もつかないような悩みがあった事を、私は想像します。

その後、確実にレギュラーを張れる実力がありながら、恐らくは調整上手く行かず、10年連続200本安打3割盗塁30以上という成績に戻す事は叶いませんでした。

それでもMLB契約を45歳まで達成できた。

45歳時での契約は、引退セレモニーの為という見方が正しいです。

ただ、守備や走塁ではある程度の実力は残っていたはずです。また、落ち着いた雰囲気の中での出場であれば、3割に届かないにしても、さすがイチローさんだという数字は残せていたのではと推測します。

50歳MLB現役までに、何か足りないピースが存在していた。

イチローさんの練習、トレーニング、打撃技術、野球理論。これらは断言しますが50歳まで現役が可能なものであったはずです。

しかし、ここに足りないピースがあるとすると・・

心理面
食事

イチローさんが所属していたマリナーズが、常に毎年プレーオフに出場するような競合であれば、恐らくイチローさんの心理面での苦しみは回避できていたはずです。

2008年のイチローさん襲撃未遂というのも、チームが低迷していなければ起こりえなかったでしょう。

チームの停滞が、イチローさんの場所を奪い、イチローさんの心理面でも悪影響を与え続けていました。

食事

日本での引退試合になりましたが、各紙面を読んでいるうちに私の目に留まったある文面

「俺はピザを1ピース残すのがルーティンなんだ」

というような発言です。

また、過去にカレーが好きで、冷凍したものを食べているという取材映像もありました。

この辺を耳にすると、食事面に関しては余り深く精通されていなかったのかなと私は思いました。

心理面安定と、食事がスポーツ選手に適したものだったら

45歳でもNYやマーリンズにいた頃の役割以上の場所があったのではないかと憶測ですけどね。

 

以上、目標の叶え方を書き綴りました。

長期目標を自分の限界以上の事で掲げてみてください。成功はそこから始まります。

 

コメント

著者

アメリカン インテリジェンスサポート合同会社 代表社員 布川 友久 (Nunokawa Tomohisa) 米国ボイシー州立大学卒。会計学専攻財務金融副専攻 1979年3月25日生まれ。高校は偏差値45程。大学にはサッパリ合格せず、 父の助言もありパソコンと英語のみを勉強。 インターネットが全く整備されていない時代に、自力留学手続きの後 米国シアトルセントラルコミュニティーカレッジ(SCCC)へ進学。 留学当初は、偏差値45が示す通り、伸びしろの無い学生生活を送る。 しかし、ロバート・キヨサキ氏の助言により、会計学に興味を持つ。 会計学教師Mr. Michael O'niellの的確な指導により 勉強をして成績が備わってくる事の喜びをついに知る。

SCCC終盤には、大学内最難関クラスであるMr. James Hubertの Micro/Macro Economicsで、留学生でありながらクラス最高の成績を残す。 SCCC卒業後、日本に帰国。留学資金を貯めて再度アメリカへ。 自力手続きを終え、アイダホ州内Boise State Universityへ編入。 大学より奨学金を受領。 会計上級クラスに進級するうちに、大企業会計に興味を失う。 この頃から、インターネットを通じたマーケティングに興味を持つ。 また、世界金融破壊の発端となったアメリカ本土においての 金融学に興味を持ち、ファイナンスを副専攻に。 卒業後、日本へ帰国。2013年、アメリカン・インテリジェンスサポート合同会社設立。現在はWeb広告コーチ、コピーライティング、自身のセミナー開催、他者様のセミナー開催支援、そして留学サポートコーチとして活躍中。 アメリカンインテリジェンスサポートLLC

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