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【第006回】 偏差値45でもアメリカ州立大学卒業 ~渡米後の劇的大逆転生活~ その1 初めてシアトルに降り立った日

06 1999年からの留学日記

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1999年10月8日金曜日。

私は成田空港からアメリカン航空で、シアトルタコマ空港に降り立った。


今でも飛行機の窮屈さは身に染みている。

座席配置は、2-5-2

航空機チケットを自分で手配した経験が無い私は、無知のまま世間の流れに身を任せ、HISで航空券を買うという浅はかな行動をしてしまった。

そのため、2-5-2の座席の、5のど真ん中が自分の席だと知った時は、この留学の前途の多難さを表していたのだろうか。

(この経験が基礎となり、今では航空券の取得方法を熟知する事が出来た。やはり失敗経験はその後の成功への元となる事を今でも自覚している。)


話は戻って1999年10月8日金曜日の午後1時

シアトル空港に夢と希望と不安と極度の緊張を持って降り立った。

観光ではなく、F-1ビザ持ちであったため、他の旅行客よりも入国審査には多少の時間がかかってしまったが、無事にアメリカに入国。そしてお土産が入った巨大スーツケースを2点無事に拾い上げ、極度の緊張の元であった、ホームステイファミリーの出迎えという瞬間が近づいてきた。

上りエスカレーターを・・

いや、記憶が混同している。

預けた荷物を受け取る前に、ホームステイとの出迎えの瞬間だった。

エスカレーターを上がりきると、そこには30名程のアメリカ人が、待ち人を迎えていた。

そして見つけた

 

初老白人男性の持つ

Tomohisa Nunokawa

 

ぼくです!It’s me.と言ったか言ってないか。

男性、お父さんとその6歳の子との初めての対面だった。奥さんと娘さんは一緒に来なかったらしい。

20歳。今まで国際感覚ゼロの日本人が、一緒に住まいを共にするホームステイファミリー。出会いは非常に緊張した瞬間だったが、お父さんの笑顔と優しい声に安堵させてもらえた。さらに6歳の男の子も特に顔見知りをしていた様子は無い。

これは距離を一気に縮めるチャンスだと思い、ちょっかいを出してみた。頭を人差し指でツンツン。

案の定、笑顔で「テメーなにすんだコノヤロー!」みたいな。ちょっとした格闘ごっこが始まる。

 

そして、3人でお父さんの車の待つ駐車場へ。


おっと、シアトルは東京よりも緯度?経度?未だにどちらが縦横なのかを覚えられないが、とりあえずかなり北だ。北海道と同じ緯度だか経度だか。

 

よし、ネットでもまともな覚え方は検索しても出てこなかったので、今思いついた覚え方を書いておこう。

経度は縦。経度は縦。K度は縦。K度は縦。Kは縦線から書く。K度は縦。

緯度は横。緯度は横。E度は横。E度は横。Eは横線が多いから横。E度は横。


■空中都市・Seattle!!!

お父さんのCivic後部座席に乗り、右側車線に多少混乱を重ねながら車はSea-Tac International AirportからInterstate-5 にて北上。大体20分ほどでダウンタウンに着くという。彼らの自宅は、ダウンタウンより東に位置するCapitol hillという場所らしい。

車に揺られる事15分。

(丘しか見えない・・・)

大した景色も無く、眠気も重なって会話も弾まず・・・今の日本の車からは想像もできないほど車内に走行音が充満。中々大声を出せる性格でもないのでちょいと辛い時間を過ごしていたら・・・・

最後の丘を登り切った時に・・・

目の前にダウンタウンのビル群が浮かび上がってきた。

 

 

日本と違う。成田から都内に向かうと、汚い工業地帯ばかり目に入り、初めて訪れる外国人からしたら「本当に日本か?」なんて思われてしまうかもしれない。

ここシアトルでは、そういった汚い工業地帯すら目にする事も無い。ただの木の生えた丘が連なっていただけだった。

そこに、この景色が目の前に広がった

 

「空中都市シアトル」

 

その瞬間にそう思ってしまった。


あなたがシアトルを訪れる際は、是非ともI-5を北上してほしい。

数年後に気づいた事だが、Downtown Seattleは、4つの丘に囲まれている美しい都市だ。その4つの名前を発見する楽しみも楽しんでほしい。


この空中都市の感動は訪れたものにしかわからない。

この感動から私の心は一気に留学に対する不安は払しょくできた。夢と希望と期待が一気に膨らんできた。

 

「この街で暮らせるのか!」

 

次回10/8後半の感動に続く。

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コメント

著者

アメリカン インテリジェンスサポート合同会社 代表社員 布川 友久 (Nunokawa Tomohisa) 米国ボイシー州立大学卒。会計学専攻財務金融副専攻 1979年3月25日生まれ。高校は偏差値45程。大学にはサッパリ合格せず、 父の助言もありパソコンと英語のみを勉強。 インターネットが全く整備されていない時代に、自力留学手続きの後 米国シアトルセントラルコミュニティーカレッジ(SCCC)へ進学。 留学当初は、偏差値45が示す通り、伸びしろの無い学生生活を送る。 しかし、ロバート・キヨサキ氏の助言により、会計学に興味を持つ。 会計学教師Mr. Michael O'niellの的確な指導により 勉強をして成績が備わってくる事の喜びをついに知る。

SCCC終盤には、大学内最難関クラスであるMr. James Hubertの Micro/Macro Economicsで、留学生でありながらクラス最高の成績を残す。 SCCC卒業後、日本に帰国。留学資金を貯めて再度アメリカへ。 自力手続きを終え、アイダホ州内Boise State Universityへ編入。 大学より奨学金を受領。 会計上級クラスに進級するうちに、大企業会計に興味を失う。 この頃から、インターネットを通じたマーケティングに興味を持つ。 また、世界金融破壊の発端となったアメリカ本土においての 金融学に興味を持ち、ファイナンスを副専攻に。 卒業後、日本へ帰国。2013年、アメリカン・インテリジェンスサポート合同会社設立。現在はWeb広告コーチ、コピーライティング、自身のセミナー開催、他者様のセミナー開催支援、そして留学サポートコーチとして活躍中。 アメリカンインテリジェンスサポートLLC

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