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いつもの通り、困難な状況の中アメリカ留学を目指す男女学生さんに救いの知識を!勇気を!知恵を!と、Yahoo知恵袋をさまよっていたら、この様な珍しい質問に出会いました。

とある日系アメリカ人に関する記念碑の名称を、どう和訳するかで質問があります。

とある日系アメリカ人に関する記念碑の名称を、どう和訳するかで質問があります。 - アメリカ合衆国アラスカ州ジュノー市には、... - Yahoo!知恵袋
とある日系アメリカ人に関する記念碑の名称を、どう和訳するかで質問があります。 アメリカ合衆国アラスカ州ジュノー市には、地元ハイスクールを卒業生総代の名誉を以て卒業する筈だったにも関わらず、卒業式の1ヶ月前にアイダホ州のミニドカ収容所へ送致されたジョン・タナカと彼の家族を含めた、当時ジュノー市に居住していた53人の日系人...

本文は知恵袋上でお確かめください。

ジョン・タナカ。戦争と圧政により収容所生活を送ったが、戻った場所で地元住人の厚い支援を受ける。

(質問そのものが質問者により削除される可能性もありますので、引用文として残しておきます。)

とある日系アメリカ人に関する記念碑の名称を、どう和訳するかで質問があります。 アメリカ合衆国アラスカ州ジュノー市には、地元ハイスクールを卒業生総代の名誉を以て卒業する筈だったにも関わらず、卒業式の1ヶ月前にアイダホ州のミニドカ収容所へ送致されたジョン・タナカと彼の家族を含めた、当時ジュノー市に居住していた53人の日系人の無念を追憶する事と、戦後彼等が地元へ戻ってきた際に、生活の立て直しを支援した地元住民による対応を称賛する事を目的として、 タナカのクラスメート達が、卒業式の際に彼を含めた日系人達の存在を顕示すべく、会場に置いた空の椅子をモチーフとした記念碑である「Empty Chair Memorial」が設置されているとの事です。 https://en.m.wikipedia.org/wiki/Empty_Chair_Memorial そこで思ったのですが、同碑の名称に日本語訳を充てるとすれば、どういった和名が最も適当だと思いますか?

アラスカ州ジュノー市の場所

さすがにここを訪れた事のある日本人や、アメリカ人の出身者には会った事がありません…

戦争によって引き起こされた、悲しみと暖かさのアラスカ・アイダホストーリー

この質問に対する僕の回答です。

まずこの様な歴史的であり、悲しくも暖かくなる話を紹介してくれてありがとうございます。米国生活していましたが、初めて聞きました。
Empty Chair Memorialを和訳する場合ですよね。
これが映画になったりしたら作家が心に残る和訳をすると思うんですけどね。
恥ずかしながらとりあえずGoogle翻訳。
当たり前の結果ですけどね。
空の椅子の記念碑
ただ現地での名前もEmpty Chair Memorialなので、ここに日本人とか被害者とか訳すのは難しいので、サブタイトルになるでしょうこれは
空の椅子の記念碑
~日系人とアラスカ住民の絆~
~その席に座るはずだった日系人~
とかですかね。

アラスカとアイダホ。両方訪れた事がある。

シアトル留学中に、物凄い仲良くしていたお嬢さんがいました。そのお嬢さんの家族がアラスカのフェアバンクスに居るという事で、招待してくれたことがあるのです。本当に美しくて自然が溢れていて素晴らしい場所でした。

フェアバンクス to ジュノー

同じアラスカでも車で17時間かかる場所にあるアラスカ州ジュノー市。

さすがにアラスカを訪ねた事のある僕。アイダホ州に在住してた僕。耳には入らない出来事でした。

なので、今回この質問を目にした時は、まず、自分が知っている土地で、日系人が素晴らしい成績を残した事。

そして残念ながら卒業式には出られず、さらに収容所で厳しい生活を送りながらも、街に戻った際は地元住人の支援を受けた。そしてさらに出席できなかった卒業式のメモリアルが作られている。

小さなストーリーであるとは思うのですが、これを紹介してくれた今回の質問者さんに非常に感謝しています。

 

コメント

著者

アメリカン インテリジェンスサポート合同会社 代表社員 布川 友久 (Nunokawa Tomohisa) 米国ボイシー州立大学卒。会計学専攻財務金融副専攻 1979年3月25日生まれ。高校は偏差値45程。大学にはサッパリ合格せず、 父の助言もありパソコンと英語のみを勉強。 インターネットが全く整備されていない時代に、自力留学手続きの後 米国シアトルセントラルコミュニティーカレッジ(SCCC)へ進学。 留学当初は、偏差値45が示す通り、伸びしろの無い学生生活を送る。 しかし、ロバート・キヨサキ氏の助言により、会計学に興味を持つ。 会計学教師Mr. Michael O'niellの的確な指導により 勉強をして成績が備わってくる事の喜びをついに知る。

SCCC終盤には、大学内最難関クラスであるMr. James Hubertの Micro/Macro Economicsで、留学生でありながらクラス最高の成績を残す。 SCCC卒業後、日本に帰国。留学資金を貯めて再度アメリカへ。 自力手続きを終え、アイダホ州内Boise State Universityへ編入。 大学より奨学金を受領。 会計上級クラスに進級するうちに、大企業会計に興味を失う。 この頃から、インターネットを通じたマーケティングに興味を持つ。 また、世界金融破壊の発端となったアメリカ本土においての 金融学に興味を持ち、ファイナンスを副専攻に。 卒業後、日本へ帰国。2013年、アメリカン・インテリジェンスサポート合同会社設立。現在はWeb広告コーチ、コピーライティング、自身のセミナー開催、他者様のセミナー開催支援、そして留学サポートコーチとして活躍中。 アメリカンインテリジェンスサポートLLC

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