2021年10月に北海道日本ハムファイターズに新庄剛志さんが監督として復帰する事が決定しました。野球界にとって非常に明るいニュースであり、さらに既存概念を破壊するような新しい采配や用兵が登場する期待しかありません。
僕はパリーグは殆ど見ていません。たまに選手の成績を見るだけです。Ymobileを契約しているので、パリーグの中継を見る事が出来るのですが、何か有名選手の登板など以外では殆ど観戦はしなかった2021年でした。
しかし、2022年シーズンは、北海道の中継を沢山見ようと思います。新庄監督初年度という事で特に監督に注目が行く年となります。なので、新庄剛志ビッグボスを通じてパリーグの盛り上がりを楽しむつもりです。
ぬのかわともひさが新庄剛志選手に関して最も記憶に残るモーメント紹介
まず先に、新庄剛志ビッグボスは最近YouTubeチャンネルを開設しています。僕も既に動画を幾つか拝見していますが、やはりプロフェッショナルの「あの時はああだった」という話は本当に面白いです。また極度の場面でもどのような心持だったのか。少年野球への指導などでわかります。また、少年野球指導といえば、清原和博選手も同じことを行っていますが、同じ右打者としてアドバイスしている内容がかなり重複しているのが面白いです。
新庄劇場
さて、僕ぬのかわともひさが新庄剛志選手に関する最も記憶に残るモーメント、場面ですが、それは2002年の事でした。
1999年からSeattleに留学していた僕は、2002年もSeattleで生活をしていました。Seattleでは特に野球を見る事も生活の一部となっていました。イチローさん佐々木さん、そして長谷川滋利さんという有力な日本人プレイヤーが活躍していたので、MLB観戦は本当に楽しかったです。そしてSeattle以外の選手も気になっていました。Metsの新庄剛志選手は東海岸なので滅多にSeattleには来ませんし、テレビ中継も映りません。Yahooニュースなどで成績を確認しているだけでした。そして新庄剛志選手2年目はSFジャイアンツへ移籍という事でしたが、やはり中々テレビでも新庄さんを見られる事が出来ない日々でした。
新庄剛志選手属するSFGをTVで見られる機会がついに訪れる!
こちらの映像でもちょこっと語られていますが、2002年に新庄剛志選手がサンフランシスコに移籍し、現地に到着した際に監督やバリーボンズ、ジェフケントという最高峰の選手に迎えられ、その後の歓迎会も400名以上も集まって歓迎してくれたという素晴らしいエピソードが語られています。そして新庄剛志選手はみんなをワールドシリーズに連れていく!宣言です。
そしてそのワールドシリーズ出場…
実現したのです!
ただ、当時僕にとってその時期は大学の中間試験で忙しい時期なので、残念ながら中継を殆ど見られなかったのです。ワールドシリーズの結果だけはチェックし、1日目、2日目…5日目…6日目…え?7戦目までもつれた⁉ワールドシリーズは日本の日本シリーズと同じで、4勝を先にした方が勝ちとなります。2002年のワールドシリーズは、第7戦目まで勝敗が持ち込まれるという非常に熱戦だったのです。
新庄剛志選手が登場したのは9回表の劣勢の中
第7戦。新庄剛志選手はスタメンではありませんでした。しかも途中出場も中々ないまま、SFGは1-4というビハインドで最終回である9回表を迎えます。
そして最初の打者がアウトになり…、(20年前の記憶なので間違ってました。)そこから…キター!!代打SHINJO!!
慌ててVHSの録画を始めました。敵地アナハイムスタジアムなので、勝利目の前のAAファンは非常に盛り上がっていました。そしてストライクになる度に大歓声が起こるという圧倒的アウェイの中、あの時の新庄剛志選手の心境はどうだったのか。これは後程新庄劇場で質問をしたいと考えています。(このVHSはその後のシアトル生活で何度も観返しました。世界最高峰の場面で日本人がその打席に立った。しかも緊張最高潮の場面で。ただこのVHSは後に紛失してしまいました…)
清原和博さんのチャンネルで清原和博さんが仰るには、「どんな野球選手でも絶対に緊張する」です。あの9回表の新庄剛志選手。果たしてどれほどの緊張だったのか。また、楽しめていたのか?1アウトランナー無し。一人ではどうする状況ではありません。恐らくランナー2,3塁とかでしたらまた違うアドレナリンが出ていた事でしょう。(20年前の記憶なので、ブレていました。実際は新庄さんにとっても最高の場面となりました。)
ここで大ニュース!当時のワールドシリーズ第7戦目の試合がYouTubeにアップロードされていた!
中国コロナ前ですし、どれだけ球場が盛り上がっていたか、そしてどれだけ緊張する場面だったか。新庄剛志選手の前の打者、元マリナーズのDavid Bellの部分から埋め込んでいます。是非ご覧になって下さい。
如何でしたでしょう?
僕の記憶も20年前の事なので錯乱していました。実は1アウトで2塁1塁にランナーがいました。ここで新庄剛志選手がホームランを打てば同点という最もしびれる場面。最も新庄さんが力を発揮する場面。
僕が当時TVを見ていた時と同じ放送局同じ実況と解説でした。VHSを何度も観返していたので覚えているのです。
「日本人野手で初めてワールドシリーズのグラウンドに立つ選手」
と紹介を受けていたのは記憶していました。本動画で久しぶりに聞く事が出来ました。
そしてアナハイムの相手投手は最高峰の抑えパーシバルです。僕はあまり知らない選手ですが、すごい選手という事だけは知っていました。2ストライク後に初めて新庄選手に投げたあの変化球が外に外れずに中に入っていたら、あの時点で打ち取られていたのではないでしょうか。
新庄剛志選手のモーメントは、野球を見てきた中で最も緊張した場面です
過去、日本やアメリカの野球中継を見てきた中で、
槇原さんのパーフェクト
王者西武と野村ヤクルトの日本シリーズ(93年❓)
アメリカではマリナーズのプレーオフ
松井秀喜さんとペドロマルティネスとのワールドシリーズ対決
数々の痺れる場面がありました。
それらの最高峰の場面の中でも、この新庄剛志選手のワールドシリーズ、しかも第7戦で9回表ホームランで同点の場面。相手は最高峰の抑えの投手。
代打を出されたPedro Feliz選手は2002年は.250HR2本という若手でこれからの選手でしたが、その翌年から7年連続2桁HRを打った素晴らしい選手です。その選手に代打として出た新庄剛志選手。同じ日本人。僕なんかと比較するには余りにも大きな太陽であり光である新庄選手ですが、異国で這い上がろうとしていた僕に凄まじい力を与えてくれたモーメントでした。
過去10年以上は新庄さんは中々世の中に情報が流れませんでしたが、今後はスポーツメディアの中心に立つ事でしょう。これからの沢山の一般人から見たら奇抜、新庄さんから見たら当たり前の野球を楽しみにしたいと思っています。
読んで頂きありがとうございました。
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